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蓮、あんたは枯れないよ。 

惹き合う と 引き込む は 似て非なる ですね。 泥の中に蓮の花が咲いていて 淡い色の花を観る時があれば 泥にピントを合わせる時もある。 当たり前だけど 花を観てる時にも泥土は見えているし 泥池に着目している時にも蓮の花は見えている。 目を逸らそうが 目をつぶろうが 目を凝らそうが 両方が同時に存在している。 良い悪いではなくて 泥も花も存在し続ける。 うん。 不思議なもので 人間はわざわざ泥にばかり注目する時があるのです。 少なくともぼくはあります。 エスカレートすると視点が固定されてしまい いわゆる思い込みモードです。 「蓮がキレイだな」 に対して 「でも泥は汚いじゃん」 なんて 花を観てる人をまで引き込もうとしたり。 不思議ですね お互いに花があることも泥があることも分かっているのに お互い分かっていることも分かっているのに 角度とかピントとか意識とか ほんの少しの部分ですよね。 きっとこんなことだって 誰でもわかっています。 つらい時にこんな記事を読むと こう思うかもしれません。 「そんなこと言ったって泥から目が離せないんだ!!」 そういう時ってありませんか? でも ちょっとしたチャンスかもです。 周りに求める前に自分を見るチャンス。 花を観ないのはどうしてだろう? 失敗した時のショックをやわらげるため? それとも 日本人が得意の不幸自慢でしょうか? 自分主体の救世主待ちでしょうか? 人間っちゅうのはおもしろいもんです。 ベクトルの話に似ていますが ボウリングに例えるなら ぼくもアベ120程度のへっぽこですが 『ボールは見ている方向に進む』 なんて教わったことがあります。 フィジカルに考えれば当然と言えば当然です。 イメージは現実になりやすいみたいです。 いわゆるベクトル、方向性ですね。 例えば東京から大阪に行くには 飛行機 新幹線 高速バス 在来線乗り継ぎ 車 バイク 自転車 ヒッチハイク 徒歩 いろいろ手段はありますが とりあえず西に向かうことです。 北に向いたら着きません。 宇都宮で餃子とか 秋田でキリタンポとか 確かに魅力ではありますが 重要なのは 西に向いて、行動するってことですね ここで 浜松は遠い  なんて言ってたら辛いだけですもんね さて ここまで書いたけれど いやいや そんなことより もっともっと単純に 拈華微笑とかややこしいことじゃなくて 泥より花を観ているほうが楽しい  ってことなんでしょう。 花を観ましょうよ そこに向かいたいのであれば 簡単。 うん。シンプル。 不幸にピントを合わせなくてもいい いま 幸福なのか 不幸なのか きっとすべて自分で決めているのでしょう。 幸福の先に幸福があるのでしょう。 (タイトルは無論NANAです。)
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